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ローマ滞在日記2016年3月

2016年3月11日(金)
14時10分成田発/ローマ行きAZ785便のチェックインを目指して、11時半に成田空港に着く。
最近の飛行機登乗券はインターネット介してプリントアウトした紙切れ一枚、いわゆるEチケットだが、出発直前にアリタリアの予約完了画面を見ると、正確に伝えたパスポート・ナンバーのスペルが一カ所違っていたので、飛行機にチェックイン出来ないのではないかと内心ハラハラどきどきしていた。パスポート・ナンバーの記載がEチケットで一カ所でも違うと、たとえいくら本人だと主張しても、絶対に搭乗させてくれないと聞いていたので、実はかなり焦っていた・・・・。
画面上異なっていたのは、大文字であるべき文字がひとつ小文字になっていたこと。
改めて先方にパスポート・ナンバーを伝えた時のメールを確認したが、間違いはなかった。
予約時にアリタリアのチケット受付係が入力し間違えたのかなと疑心暗鬼になりながら、とにかくアリタリアのチェックイン・カウンターへ進む。
するとチェックインは何の問題もなくすんなりと進み、あっとい間に済んだ。一体何だったのだろう?
一安心したところで、日本を離れる前の最後のラーメンをと、空港三階の「ラーメン花月」へ行くも、長蛇の列であきらめる。
飛行機は定刻通りに出発、ローマまで12時間半の直行便。
機内で最近の「ジェームス・ボンド/007」を観る。悪役のミスター・ホワイトを演じている俳優が知り合いの誰かに似ているが、思い出せない。
現地時間11日の午後7時前に無事ローマに着。荷物を受け取り入国ゲートをくぐると、ハイヤーの運転手が私の名前を書いた紙ボードを持って待っていた。ウンベルトという名前の運転手の運転する車で滞在先の主催者M.ピア宅へ。
ピアと約半年ぶりの再会。昨年天使館の3カ月留学していたアレも合流し、乾杯。ピアは私の好物のステーキを用意してくれていた。これは嬉しかった。



2016年3月12日(土)
朝の9時頃起きる。シャワーを浴び、サーモン・サンドとコーヒーの朝食。ピアが日本茶を買いに行くというので、一緒についていく。ヴァチカン近くのお店。日本茶の他に、海苔、日本酒、ラーメン、カレー、和食器までなんでも揃っている。日本酒は日本のコンビニでは数百円で売ってそうなカップ酒が10ユーロ以上もして、やはり値段が高い。それでも、私がヨーロッパに住んでいた頃の80年代~90年代に比べると、実に沢山の日本の食材が揃っている。
ベネトンでシャツを2枚購入。買い物を済まし、市内をぶらつく。パンテオン、カンポ・デ・フィオーリなどの観光名所をぶらつくが、目立つのは機関銃を持った兵隊さん。ヨーロッパがテロを警戒しているのが肌で感じた。
家に戻り、明日からのワークショップの準備、そして昼寝。まだ時差ボケが抜けない。
夜8時から、ローマの友人たちが集い主催者宅でホーム・パーティー。イタリアの友人たちにお土産を渡し、おおいに喜ばれる。




2016年3月13日(日)
朝7時半に起きる。朝はお決まりのサーモン・サンドとコーヒー。
朝食を済ませ、ピアの運転でワークショップ会場へ。去年の連続ワークショップに参加してくれた面々と、今年から新しく参加してくれた人たち合わせて10人前後。ヨーロッパのダンス・シーンの視察に来ているというカザフスタン人の参加者が3人もいた。ヨーロッパのダンス・シーンの視察なのに日本人によるワークショップに来るなんて不思議に思ったが、東洋の人が西洋人にどのように踊りを伝えるのか興味があって来たようだった。
ワークショップでは、頭部、胸部、肢体系の動きを通して、それを徐々にオイリュトミーの三分節歩行と結びつけるところから始めた。
一日三時間で一週間の連続ワークショップなので、焦らずゆっくり進める。
一週間で「言葉のオイリュトミーの基礎の導入が出来れば」を目指して進める予定。
午後一時にワークショップが終わり、少々休憩を挟んで、自分のデモンストレーションのためのリハーサルを30分程行う。まだ体が時差に慣れていないのか、作品を2回通しただけなのに、大いに疲れる。宿泊地に戻り、ステーキを焼きながらビールを飲む。
夜はエリオガバロ・グループで共演したマグダレーナ・ガーナの舞踏公演を観に行く。
会場は本屋さんの一角を舞台にして行われた。25分程の作品だが、とても集中していて、良かった。
場所をサン・ローレンツォ地区の手作りピザとビールの店に移し、乾杯。




2016年3月14日(月)
ワークショップ2日目。
冒頭に言語形成を行なった。
しばらくすると会場の支配人が現れ、声が大きすぎて他のスタジオからクレームがあったので、声を抑えてくれと言われる。が、他の稽古場でも大声を出しているので、気にせず続けてくれという。一体、何を伝えに来たのだろう?そのまま気にしないで、みっちり一時間、発声練習を行う。
続いて母音の動作言語の導入、合わせてフォルム練習。
あっという間に3時間が過ぎた。
WSの後、30分のデモンストレーションのリハ。
昼食はアレとサマンタと公園でサンドイッチを食べる。彼女たちと別れて、街の写真撮りながら、歩きながら帰る。途中、夕食の肉とビールを買う。
部屋に戻り、WSの準備と仮眠。夜はステーキを焼き、ワインを飲む。




2016年3月15日(火)
WS三日目。
最初の一時間は言語形成。
今日になってようやく5つの母音と二重母音の動きを伝え終える。イタリア語のテキストに合わせてフォルムにのせる。
WS終了後、スーパーまで食材の買い出し。ワイン、パスタ、肉、野菜。
部屋の戻り、早速ステーキを焼く。パスタは夕飯のお楽しみ。
と思ったら、アレとサマンタから夕食のお誘い。ローマ・トラステーベレ地区にある地元レストランに8時の待ち合わせ。
待ち合わせのまで時間があるので、部屋で仮眠。
夕方、地下鉄でレパント駅まで行き、お目当てにしていた調味料を買う。キース・リチャーズが自伝本の中で紹介していたモノ。ローマで初めてみた。
買い物を済ませ、そのまま待ち合わせのオッタヴィアーノ駅まで歩く。ピアの車に乗り込み、トラステーベレ地区を目指す。いわゆる下町。古い町並みがそのまま残っている。
アレ、サマンタ、アルベルトと合流し、「エンツォ」というレストラン(というより食堂)に入る。観光化されていない、地元の人で賑わっているローカルなお店。伝統的なローマ料理が味わえる。肉団子のトマト・ソース煮を食べる。とても美味しいが、量が多くて手こずる。何とか完食した。
ワインを飲みながら、デモンストレーションの打ち合わせ。音響はアルベルトがやってくれることに。大いに盛り上がり、12時過ぎに帰宅。



2016年3月16日(水)
WS4日目。
今日から子音の稽古に入る。ひとつひとつの子音の形を頭部呼吸との関連で説明。
母音と子音の身体の使い方の違いなどを体験してみる。
テキストはシュタイナーの「神々のもうひとつの眼」。
WSの後は、作品リハーサル。
いつもは音響設備があるスタジオで稽古が出来ていたが、今日のスタジオにはない。
音楽を頭の中でイメージしながら通してみたが、無音で通すとまた違った感じで、動いていて面白い。
稽古の後は今回初のケーバップ。日本のものより2周りぐらいデカイ。優に一食分になり、3.5ユーロは助かる。
部屋に戻り、少し仮眠。夜は今回の滞在初のパスタを作る。エビとズッキーニを入れたペペロンチーノ風味。赤ワインと一緒に食す。




2016年3月17日(木)
WS5日目。
昨日に引き続き子音の稽古。ひとつひとつの子音の動きを時間をかけて伝え、呼吸と結び付けてみる。続いてエレメントの要素と色彩の要素を結びつけながら、子音ひとつひとつに質感を加えてみた。今まで行なってきた内容の復習も含め、3時間はあっという間に過ぎた。
WSのあとは作品リハーサル。本番は明日の夕方。一緒に作品を発表するアレと段取りの細かい打ち合わせをし、解散(パフォーマンスは前半がアレのソロ作品、後半が自分のソロ作品の2本立て)。
昼食は近くのスタンドでサンドウィッチとコーヒー。
部屋に戻ると、5月に特別WSを行なうレーバーさんからメール。改めて5月の来日を楽しみにしているというグリーティング・メール。自分も楽しみです。
午後はデモンストレーション用の音源加工、写真の整理、シャワー。
夜、ピアが帰宅すると「姪と日本のマジシャン・キャットの映画を観たところ。知ってる?」と聞かれる。なんのことか考えてみるも、思い当たらない。日本の映画で「手品師の猫」なんて聞いたことがない。話を聞いているとどうやら「ドラえもん」のことを指しているらしい。ドラえもんは未来の道具を使って、いわば「ハイテク」を披露しているだけで手品師ではないのだが、ドラえもん=マジシャン・キャットという呼び方は面白い。
イタリアの子供たちの間では「ドラえもん+キティーちゃん」で「完全な猫」になるらしい。
ドラえもんは口はあるが耳がなく、キティちゃんは耳はあるが口がなく、両方を合わせれば「完全な猫」というわけである。日本のアニメ、MANGAはイタリアでは大変人気がある。
夕飯はフィレ・ステーキにワイン。



2016年3月18日(金)
今日はWSはなし。それでも8時前に起床する。
長文のドイツ語のメールを書いていたら、あっという間に時間が過ぎ、昼食を作る。
エビとズッキーニのパスタ。一昨日の夜も同じものを作ったが、前回はオリーヴ・オイル風味、今回はトマトソースを絡めて。
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パスタを作っていて気付いたのだが、茹であがったパスタをあける「水きりボウル」の穴が容器に対して少ない。
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これはパスタ専用の水きりボウルらしく、穴を少なくすることによってワザと水きりを悪くし、お湯が流れ切っても麺に充分にゆで汁が絡むようにするためだとか。
パスタのゆで汁はソースの一調味料的な役割なので、ゆで汁が充分に絡んだパスタをソースと絡めると、ちょうどよい塩梅になるというわけ。何気ないボウルだが、パスタを常にパーフェクトな状態で食べたいというイタリア人のコダワリが伺える。さすが天才ブオノロッティを生んだ国である。
午後、デモンストレーション会場入り。音響のアルベルトと打ち合わせを行い、テクリハ。
18:30の開演予定だが、18時半ころやっと観客が会場に集まりだす。この辺ののん気さがローマっぽい。小さな会場だが、50人ぐらいは集まったのでは。7時を過ぎたところで最初に主催者マリア・ピアによるレクチャー。テーマは「舞踏からオイリュトミーへ」。天使館とローマとの間の20年近い交流の活動経歴、ローマのオイリュトミー事情等について30分ほど話す。
デモンストレーション前半は、去年天使館に3カ月留学したアレクサンドラ・クリスティアーニ。
会場に枯れ葉やら粘土を敷いて、その上を完全な裸体で、時には転がり、時には身体を鞭のように打ち付ける。その度に枯れ葉のガサガサというような音や、粘土が身体にくっつき、次第に全身がマッディーになっていく、音と視覚的効果を考えた演出。最後はバーレッスンに使うバーを振り回しす。かなりヴァイオレンティックな作品で見応えがあった。
休憩の間に急いでスタッフが会場をクリーンに戻し、いよいよ自分の番。
前半は笠井叡が振り付けたベートーヴェンの「エロイカ交響曲・第4楽章」。12分の完全振付。衣装は黒パンツに上半身は裸体。
完全ソロ・ダンスを発表するのは、今回のこの作品が初めて。
衣装をオイリュトミー・クライト、シュライヤーに着替えて、後半はバルトークのコズト/葬送行進曲。音源は昨年12月の「雪月花公演」でも本番の演奏をしてくれた天使館のピアニスト・shimaokaさんの演奏を、今回ローマ公演用に新たに録ったもの。
振付ダンス作品と音楽オイリュトミー作品のコントラストを打ち出すのが今回のデモンストレーションのテーマ。そういう意味で、一人の同じ人間が、立て続けにソロ・ダンスとソロ・オイリュトミーを行なうのは、テーマに沿っているのではないかと考えていた。
ローマの人にとって自分のオイリュトミーは比較的知られているので、今回いきなりソロ・ダンスを発表したのは驚いたようだった。
しかしとても好意的にデモンストレーションを観てくれたようだった。暖かい拍手が嬉しかった。
打ち上げは会場近くのニューヨーク・スタイルのハンバーガーとビールが飲めるお店。
なんと300gのハンバーグを挟んだ「トラディッショナル」というハンバーガーが目玉メニューで、内心とても食べたいと思っていた。大きいので誰も頼まないだろうと思っていたら、店の人がオーダーを聞きに来ると大半の人が「トラディッショナル!」と言うので、私も心配することなくそれを注文。「亀の子タワシ」が二つ分ぐらいは優にあるハンバーグにレタス、ピクルス、オニオン、トマトにトマトソースとマヨネーズをブレンドしたソースをかけた、これぞ「ハンバーガー」という一品。食べ応え充分、満足いく一品だった。ハンバーガー屋さんだが、ビールはもちろん、ワインが何種類も揃っているところがイタリアらしい。12時近くまで盛り上がる。



2016年3月19日(土)
朝は目玉焼き、パン、コーヒー。急いで朝食を済ましWS会場へ。
最初の一時間は言語形成。毎回行なってきたので、受講生もテキストをしっかり覚えて、発声が安定してきた。ローマではこれまで何度もWSを行なってきたが、これだけ集中的に言語形成を行なったのは、今回が初めて。
言語形成の重要性とその効果に改めて気づかされたのは、昨年から開校したシューレ5期生の授業で言語形成を教えるようになってから。「発声出来る身体」を身につけるということが、どれだけオイリュトミーを行う上で重要か。「いまさら」と思われそうだが、オイリュトミーを行なう上で言語形成の稽古は、オイリュトミーの実技の稽古と同等の頻度で行うといい。もちろん、これはシューレで学んでいる間だけの話ではなく、それ以降も含めて。
しかしシューレの間は授業という形で言語形成を行う機会を設けられるが、それ以降はなかなか言語形成を稽古する機会を設けることは、頻度的に難しくなる。これは気兼ねなく大きな声で発声出来るスペースを定期的に確保することが難しいことと、シューレを卒業するとどうしても稽古が作品創りの方に趣きが置かれがちだから。作品創りの中の、朗唱の稽古が言語形成に代わる発声練習になるのだが、作品のためにではなく、純粋に言語形成の稽古のための発声の機会を行なうことは、とても大切だと感じる。これからはシューレの授業だけではなく、自分の講座でも、言語形成
の稽古を積極的に取り入れていこうと考えている。
ルドルフ・シュタイナーとマリー・シュタイナーが纏めた言語形成のためのテキスト(ドイツ語)は、そのテキストの意味性に趣きを置いたのではなく、純粋に発声に集中出来るためのテキストとなっている。
つまり「伝えるための意味」ではなく、ひとつひとつの母音や子音に集中することに特化したテキストとなっている。例えばシューレでも取り上げている「Protzig Preist~」や「Lalle Lieder Lieblich~」などのテキストは、当然ドイツ語なりの意味はあるもの、その意味にとらわれる必要はない。純粋に発声を味わいながら稽古していけばよいのである。
今回のローマでのWSでは、この点を充分に説明してから、ドイツ語のテキストによる言語形成の
稽古に入った。もともと大きな声で話すことが大好きな国民性である。前にこの日記でも書いたように、あまりにも発声が大きすぎるので、他のスタジオからクレームが入るぐらい、受講生たちは声を出していた。
今日の言語形成の稽古で気付いたことは、最初はただ大きな声で発声していたのに対し、回数を重ねる内にテキストを覚え、発声に安定した質感が出てきたこと。これには正直驚いた。頭の中で発声する言葉を考えながら発声するのと、完全に身体の中に刻印された言葉を発声するのとでは、雲泥の差がある。
オイリュトミーの実技では、母音・子音の動きを伝え終わっていたので、二つの要素を絡めてイタリア語のテキストを動いた。
後半は動きにエレメントの要素を加えてテキストを動いてみた。「Luce, Fuoco, Aria, Acqua, Terra」。
受講生の中に陰陽五行を背景にした指圧の専門家がおり、オイリュトミーで扱う5つエレメントは陰陽五行と同列のものかと質問されたが、オイリュトミーにおける5つのエレメントはこれとは同列ではない。
陰陽五行説で扱うエレメントは「Fuoco(火)、Metallo(金属)、Legno(木)、Terra(土)、Acqua(水)」の5つである。これらの5つが「相生(そうじょう)」、「相剋(そうこく)」、「比和(ひわ)」という関係で結びつくが、オイリュトミーにおける5つエレメントは、どこまでも母音・子音(母声・父声・子声)の結びつきと開示を現すものである。
WSの終了後は、昨日に引き続き2回目のデモンストレーション。今回はサマンタの写真科の学生が撮影をするという。
初日では撮影は据え置きのヴィデオ・カメラ一台のみ。こちらから手動による撮影を禁止した訳ではないが、昨年のローマ公演で手動による撮影のために演者、空間、客席がパフォーマンスに集中出来ないというアクシデントが起き、今回は予めローマ側から初日の撮影規制を設けていたようだった。
2回目のデモンストレーションでも、ローマ側の主催者はパフォーマンスを生で観ることに徹し、
撮影は全て写真科の学生に任せていた。しかしその数には驚いた。10台以上のカメラが入ったのではないか?しかもそれぞれが200mmぐらいのゴツイ望遠レンズを付けたカメラ。
まるでサッカーの試合を撮影するスポーツ・カメラの報道陣のような雰囲気。
さほど広くない空間に少し大げさすぎる撮影体制で、それはそれで演り辛かった。共演したアレクサンドラもその表情に戸惑いを隠せないようだった。撮影OKの2回目のデモンストレーションとはいえ、一般の観客も入れた純粋な2回目の本番なのだから、撮影はそれとなく行うべきである。それが本番のダンスの舞台を撮る撮影家の流儀ではなかろうか?
何とか2回目のパフォーマンスを乗り切り、近くのリストランテで遅めの昼食。豆のスープとグラタン。素朴だが美味。
部屋に戻り、倒れるように寝込む。
夜は主催者のピアと寿司を食べに行く。「10貫ぐらいのお任せコース」というのをオーダーするが、そのひとつひとつの寿司の大きさに驚く。ひとつの握り寿司が、まるでお稲荷さんぐらいの大きさなのである。乗っかているネタも厚切りで、完食するのにえらく苦労する。それでもピアは満足そうにペロリとたいあげる。
「ローマの寿司も、日本と引けをとらないでしょう?」と自身たっぷりに話すが、大きさもそうだが、ワサビは別盛りで自分で付けなくてはいけなく、内心、ネタの刺身がデカすぎるのもどうかと思った。西洋人にとっては、これぐらいの大きさがちょうどいいのかもしれないが、日本にはない寿司であった。
かば焼きのタレをつけた「うなぎ」は、とても気に入った。



2016年3月20日(日)
午前10時半にアレと待ち合わせて、ピアの運転の3人でローマ郊外・ティヴォリのハドリアヌス帝の別荘へ行く。別荘とはいえ、広大な敷地(新宿御苑より遥かに広いのでは?)にギリシア風古代劇場、浴場、図書館、いくつもの池、消防署、宿舎があり、ほとんど小さな町である。じっくり周ると一日はかかるであろう。ハドリアヌスは紀元後76年に生まれ、紀元後138年に亡くなるが、彼の存命中にこの施設は着工・完成をみたという。
ひとりの人間がこれほどのものを完成させるとは、想像を絶する巨大な財力と権力を有していたのだろう。現在は、全ての建物は崩れて遺跡となっているが、ところどころに残る色鮮やかなモザイク模様の床や壁が、当時の豪華さいかほどであったか物語っている。
ローマに住んでいるアレとピアも、ここを訪れるのは初めてではないが、イタリア語のガイドブックをそれぞれ購入して散策を楽しんでいた。
大きな長方形の池の岸に亀が日向ぼっこしているのを自分が見つけ「亀がいるよ」と言うと、ピアは「あれは彫刻よ」と主張。自分とアレは「本物派」、ピアは「彫刻」の主張で、近くまで確認しに行くことに。それだけでも広い池をグルっと迂回しなければならないほど広いのだが。もちろん亀は生きている本物だったが、ピアは「生きた彫刻ということ」と言って茶化す。そんなような、とりとめもないおしゃべりと行動も楽しくなるほど、ここは時代が止まったような異次元空間。
「ルパン三世と人造人間マモー」というアニメ映画で、ルパンが夢の中のような世界で車輪遊びをしている子供の影や、生きているはずのないアドルフ・ヒトラーと出会うシーンがあるが、そんなようなことを思い出させるような世界がここにある。
巨大な権力を有していたハドリアヌスの別荘も、今では無数のトカゲと亀と魚と白鳥たちが堂々とした住人として暮らしていた。
散策を終えて、車でローマのピア邸に戻る。
アスパラガスとオリーヴのパスタを作って、ワインで3人で乾杯。
アレもピアも珍しくお酒が進み、3人でワインを3本空ける。



2016年3月21日(月)
今日は完全オフ。午前中は寝て過ごし、お昼前にシャワー。
昼食にイワシの塩漬けを入れたオリーヴベースのパスタ&ビール。
石井輝男監督「怪談昇り竜」のDVD映画を観ようとするが、テレビとDVDの再生機の配線の仕組みがよくわからず、20~30分あれやこれや試すも、結局あきらめる。以前は簡単に再生出来たのだが部屋のテレビが新しいものに変わっていたので、システムも変わったのだろう。この映画、梶芽衣子が扮する復習を誓った女がヤクザを相手に斬りまくって話が進む映画で、実は10年以上前に一度観たことがある。土方巽も出演している。
石井輝男監督は伝説的な「B級映画監督」で、江戸川乱歩の小説を原作にして、土方巽を全面的にフィーチャーした「恐怖怪奇人間」などは、「役者・土方巽」の姿が充分に楽しめて見応えあり。
特にエンディングは日本のB級映画史上、伝説となったエンデイングで、自分も初めて観た時にはあまりの衝撃で、DVDで何度もその場面だけを繰り返し再生して観入った。興味ある方は是非観てみて下さい。自分の中では最も衝撃的なエンディングの映画のひとつとして数えられる。
夜はピアと食事の約束をしていたので、最初は待ち合わせ場所まで地下鉄で行こうと考えていたが、時間もたっぷりあるし、歩いても一時間ぐらいで着くハズなので、早目に出て歩いていくことに。町の写真を撮りながら、ブラブラ歩くのもまた楽しい。
今滞在の二日目の夜にも行ったサン・ローレンツォ地区の手作りピザとビールの店で夕食。ネロ・ダヴォラを注文したが、二人では飲みきれず。お店の人がコルクをくれて「ボトルを持って帰っていいよ」と声を掛けてくれる。優しい店員さんだ。



2016年3月22日(火)
朝食を済ませ稽古の準備をしているところに、ブリュッセルでのテロ事件の一報がピアのスマホに入った。今回のローマの連続WSのコーディネーターであるピアは、普段イタリアのテレビ局「La 7」の報道部のスタッフとしても働いている。ピアのスマホはそれ以降、各方面からの着信音が鳴りやまず。ブリュッセルで起きた事件に伴い、本日の収録内容を全て改めるとのことで、既に呼んであったゲストへのキャンセル連絡、緊急報道特集の打ち合わせなどで、ピアは朝からテンテコマイ。予定していた午前中のオイリュトミー稽古は取りやめ、すぐに局に向かった。
自分も途中まで乗車し、局近くのポポロ広場でおろしてもらう。そのままコルソ通りをコロッセオ方面まで写真を撮りながら下る。途中、ヴェネチア広場近くにある野良猫の保護センター「Gatti Di Roma」に立ち寄る。ウチのジャガに似たキジトラの猫がおり、この種の猫は世界のどこにでもいるのだなと感じた。ジャガも元々、国分寺のストリート出身の野良だったので、野良猫の多いローマの道端にこの種の猫がいても不思議ではない。
早歩きであれば30分程で着くコロッセオまでゆっくり一時間半程かけて歩く。
コロッセオで地下鉄に乗り、サン・パオロ・バジリカ駅へ向かう。腹が減っていたので、何か食べようと思っていたところ、駅を降りるとちょうど目の前にケーバップ屋が。本滞在2回目のケーバップを味わう。サン・パオロ・バジリカ駅周辺は学生街で、昨年公演したローマ第3大学も近くにある。観光地とは違い、ローマのローカルな一面を見せてくれる。
一時間ほど周辺の写真を撮りながらうろつき、駅でサマンタと合流。午後は彼女の職場を案内してくれる予定になっていた。サマンタは写真の暗室作業の専門家で、ここに友人たちと暗室を持っている。訪れてみるとサマンタの仲間たちが数人、作業していた。建物の地下室の3部屋を借りて設えられた暗室・作業場。
今日は昨年サマンタが日本で撮った写真(モノクロ)を現像するという。最初は彼女の作業の様子を見学していたが、「やってみる?」と誘われて、人生初の白黒写真の現像にトライ。
引き伸ばし機のF値(絞り)や投光時間などを設定し、プリント紙に投光する。一眼レフカメラの絞りとシャッター・スピードの設定と同じイメージだが、投稿時間(カメラにおけるシャッタースピード)は秒単位で計り、長い。今回は26秒から39秒の間で、何度か試す。写真は自分とアレを昨年の天使館で写したものを現像。投光を終えて現像液にプリント紙を漬けると次第に写真が浮かび上がってくる。初めて味わったが、この瞬間は、何とも言えず感動的だった。自分はサマンタのアドヴァイスに従って作業しただけだが、これはとても惹きつけられる作業であった。5枚程の現像体験をさせてもらったが、人生初ということもあって、とても興奮した。暗室を出ると、外は完全に日が暮れており、そのままサマンタとトラステヴェレ地区までバイクで移動。ピア、アルベルト、アレ、そしてローマの日本人の友人であり通訳のダイスケさんと合流。ピアお薦めの肉料理専門の食堂へ。自分はビステカ・ディ・マンツォ(ステーキ)を注文。アルベルトとダイスケさんは、骨付きのポークを注文したが、その大きさは圧巻。以前、メキシコのグアナファットで出てきた物と全く同じ。子供の頃からローマで育ち、暮らしているダイスケさんも、これは初めてだったらしく、完食出来ずに途中でギブアップ。それでも、観光化されていない、地元の人しか訪れない、安くて美味しい食堂で、次回日本からのツアー客の仕事で、ここを利用したいと言っていた。
大いに盛り上がり、十二時過ぎに帰宅。



2016年3月23日(水)
午前~お昼までマラフロンテでアレ、ピアの三人でオイリュトミーの稽古。WSで稽古した母音・子音の動き、テキスト、言語形成など。6年前のローマでの連続WSで少しだけ触れた、子音と黄道十二宮についてもう一度教えてほしいというので、後半は十二の方向感覚とそれぞれの星座の所作、子音の動きを稽古した。
稽古後ピアはテレビ局、アレは自分のクラスへ、自分は一旦部屋に戻り解散。途中、帰りの道沿いにある中華食堂で昼食。ローマには中華食堂が割と多くあり、値段も非常にリーズナブル。ワンタン・スープ、広東風炒飯、焼きそばの3品でちょうど10ユーロ。味も悪くない。イタリア料理、ケーバップ等が続いていたので、久しぶりのアジアン・テイストは嬉しかった。
部屋に戻り、黒木和雄監督の「日本の悪霊(1970年作品)」を観る。主演の佐藤慶がヤクザと警官の一人二役を演じながら、60年代後半の日本の社会を描いた作品。土方巽も出演している。気になったのはオープニングの挿入歌で、誰の演奏によるものか知らないが、かっこよかった。ギターの音が、乾いたクランチの効いた粗削りの音で、ソロをロング・トーンの一音だけで強引に押し通す手法は、どこかジェフ・ベックを彷彿させるものがあった。
夕方、再び外出。地下鉄でオッタヴィアーノ駅(ヴァティカンの近く)まで行き、ピアと合流。シチリア料理を専門とする食堂で「ウニのソースのパスタ」を食べる。非常に美味。



2016年3月24日(木)
午前中はオイリュトミーの稽古。
昼食にサンドウィッチ食べ、ポポロ広場へ移動。一昨日はここからコルソ通りをコロッセオに向かって下ったが、今日は裏道を散策しながらコロッセオに向かう。スペイン階段、トレヴィの泉はいつ来ても観光客が多い。遺跡群が広がっているフォロ・ロマーノの中に入場しようと思ったが、券売所が長蛇の列。聞けば、入場まで1時間は待たされるというので、取りやめる。コロッセオからカヴール通りを北上してテルミニ駅を目指す。道中、数多くの「イタリア料理のレストラン」が建ち並ぶが、そのほとんどを中国人が経営している。後でピアにその理由を聞いてみたところ、かつては地元の人が経営していたが、中国人が店ごと買い取って営業しているという。中国からの観光客の数、中国人経営のレストラン、お土産屋、雑貨屋、ローマ市内の中国人の進出率には驚いた。世界の大都市には中華食堂、中華雑貨店が建ち並ぶチャイナ・タウンが存在しているが、イタリア観光の土産屋、イタリア料理のレストランなど、地元の文化的領域にまでチャイニーズ・マネーが浸透している模様。かつてはフェラガモやグッチの直営店では、日本人スタッフが常駐していたが、今ではそのようなブランド・ショップに中国人スタッフも常駐している。
テルミニ駅の本屋を覗くも、目ぼしいものはなし。日本のマンガ・コーナーは相変わらず充実していた。地下鉄で部屋を目指すが、ワザと降りたことのない手前の駅で降りて、周辺を散策。観光名所も面白いが、ローカルな雰囲気漂う、日常のローマの街は何となく気持ちがホッとして好きである。
部屋に戻り、写真の整理。
夜は先日現像した白黒写真が乾いたので、トラステヴェレまで引き取りに出掛ける。
ピアとアレと合流して、サマンタの待つ地元の食堂へ。サマンタの教え子のファミリーが経営している小さな食堂。今夜は食堂が我々全員を招待してくれるとのこと。
イノシシ肉のソースのパスタ(きし麺みたいな)を食べる。もともと豚肉系は苦手だが、この肉とソースはまったく臭みもなく、大変美味。
深夜になり、とっくに営業時間が過ぎているのにも関わらず、ワインと小料理を次々と出してくれる。サマンタの教え子がいるという店だけあって、話題は写真関係。アレは、ローマの友人やダンサーが絶対に欲しがって羨ましがるから、実は天使館のクラスから贈られて所有していることを隠していた神山禎次郎の舞踏写真集について思わず口にしてしまい、「どこで手に入れた?」と激しい突っ込み攻撃に遭う。
楽しい夜であった。




2016年3月25日(金)
午前からお昼までオイリュトミーの稽古。
地下鉄でカヴール通りまで出て、ミケランジェロの「モーゼ像」が見られるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に向かうが、閉まっており残念。そのままコロッセオまで歩いて下り、周辺を散策。ここはいつ来ても人が多い。コロッセオをあとにして、更に地下鉄でガルバテッリ駅に向かう。ここはサマンタが教えている写真学校がある。中に小さなバー・カウンターがあり、ビールを飲みながら写真集を閲覧出来る。
ビールを飲みながらWILLIAM KLEINの写真集「ROMA」を見ていると、ここの学校の先生と思われる男の人から「KLEINは好きか?」と声を掛けられる。KLEINの撮った「TOKYO」はピア宅で何度も見たことがあるので、「KLEINのTOKYOは見たことがあります。ROMAも撮っているんですね」と答えると「それ持っていっていいよ。先日のダンスのお礼だ」と信じられない言葉。思わず「冗談でしょ?」というと、「冗談じゃない。本当だ」という。
聞けば彼はマルコといって、ここの学校の先生(サマンタの同僚)をしているという。先日の2回目のデモンストレーションの時に、彼も撮影に来ていたという。
あまりのカメラの多さと撮影音で、非常に苦しい2回目の本番だったが、そんなキツイ思い出も一気に吹っ飛んでしまうぐらい、嬉しい驚きだった。あとから合流したサマンタに学校でKLEINの写真集をもらったことを話すと、驚きと同時に、実はマルコが、自分がデモンストレーションで踊った音楽オイリュトミー「バルトーク/コズト」を大変気に入っていたことを教えてくれた。
夕方のトラステーヴェレ地区を散策しながら、カンポ・デ・フィオーリ広場に出る。サマンタ行きつけのバー(80代の姉妹が二人で切り盛りしているローカルなバー)でビールを飲みながらアルベルトの車を待つ。車に乗り込み、アレを自宅でピックアップし、ローマ郊外の地元食堂「ベット・アン・メリー」へ。ピアも誘ったが、電話の向こうで「収録が深夜にまで及びそうで、テンテコマイなのよ」という。残念。
前菜は生野菜のオリーブ漬け、コロッケ。次にトマトソースのパスタ。メインは子羊のステーキ。このコースはアルベルトお薦めのコース。どれも大変美味で、特に子羊のステーキは、意外にも臭みが全くなく、気に入った。
アレは日本にいた時は小食のイメージだったが、ローマでは一変、全てのコースをモリモリ食べる。やはり生まれ育った故郷の味は、誰にとっても格別なのだろう。
明日はいよいよPetrella Saltoへ出掛ける日。あそこを訪れるのは、1997年7月以来だから、19年ぶり。


2016年3月26日(土)
朝からピアの運転する車でローマを離れ、東の山間部へ向かう。
目的地はPetrella Saltoという村。実は19年前に一度、一人でここを訪れている。この村の名前を聞いてピンと来る人は、そう多くおられないと思うが、ここはのちに、コラード・リッチやアントナン・アルトー、モラヴィア、シェーリー、スタンダール、澁澤龍彦、久生十蘭などの多くの文学界の作品のインスピレーションに火を点けた歴史的事件がかつて起きた場所。
ベアトリーチェ・チェンチが父親フランチェスコ・チェンチを殺害した砦跡がある村である。
人口数百人(もしかしたら100人程度かも)ぐらいの過疎化が進む小さな村。最寄りの都市はここからバスで一時間程北上したリエッティ。バスは一日に2本ぐらいしか走らない。
空き家が多く、そのほとんどが「売り」に出されている。値段も、びっくりするぐらいは破格で、頑張って稼げば手が出ないことはないような値段。
宿もなければ、外食も出来るような場所もない。
車を停めて、ベアトリーチェ・チェンチの砦跡が建つ小高い山を登る。
19年前に一人でこの村に着いた時の記憶が蘇える。
当時、一人でバスに乗ってこの村に着いた時、バスを降りたら一人の少年が外国人(私)が来たことを珍しがって声を掛けてきた。私がチェンチの砦に行きたいことを告げると、少年は村の役場までとりあえず案内してくれた。役場と言っても、部屋はひとつにフェルナンドさんという初老の男性が一人、机に向かって暇そうにしているような所。
片言のイタリア語で「チェンチの砦の行き方を教えてください」と告げると、案内してくれるという。
ペトレラブログ.JPG

彼の案内で村を抜け、後方の小高い山に登ると、砦はあった。
城壁の跡が僅かに残っているのみで、草木が生い茂っていて、まさに遺跡。フェルナンドさんが僅かに残る部屋の間取りをあらわす壁跡を説明しながら、フランチェスコ・チェンチが殺害された場所や、その遺体を突き落とした場所、義母とベアトリーチェが幽閉されていた部屋の跡を教えてくれた。
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殺害されたフランチェスコ・チェンチが眠るサンタ・マリア・デッラ・ペトレッラ教会(写真上)。かつて史実を検証するために、墓を掘り起こしたことがあるらしい。遺体は靴(scarpe)を履いたまま、鈍器で殴られた跡を残して埋葬されていた。
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(写真上:ベアトリーチェ・チェンチの砦跡。生い茂った木々の向こうに壁跡がみえる)
今回、19年振りにここを訪れたが、さらに風化が進んでいる印象を受けた。おそらくあと数十年もすれば、完全に壁跡も崩壊してなくなってしまうだろう。
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かつてフェルナンドさんがいた役場の部屋のある建物は空き家となっており、売りにだされていた。下の写真はチェンチの砦から見下ろしたペトレラの村の様子。
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村の向こうにみえるのがサルト湖。湖のほとりに唯一の食堂を見つけて、ここで獲れた魚のフライを食べた。淡水魚だが日本では見たことのない種類の魚。白身でとてもうまい。
遅めの昼食で、白ワインを一本空ける。
それにしても、ピア、この後も運転があるのに、普通にワインを飲む。日本ではとても考えられない。
名残り惜しい気持ちを少し感じつつ、ペトレッラの村を後にし、ピアの実家のあるアヴェッツァーノを目指す。
明日はイースタ(復活祭)。家族・親戚が集まって、お祝いをすることになっている。