So-net無料ブログ作成

ドイツ・イタリア・ツアー日記/14年5月

5月5日(月)
朝10時半・成田発のKLMでアムステルダムまで12時間のフライト。総勢14名のツアー・クルー。現地時間午後3時頃到着。乗り継ぎのシュツットガルト行きの便まで6時間の待ち時間。空港内のソファーで仮眠。シュツットガルトにようやく着いたのは夜10時過ぎ。オイリュトメウム校長のミヒャエル・レーバーさんと現在4年生に在学中のモーリッツが迎えに来てくれる。レーバーさんの車とモーリッツが運転するバンの二手に分かれて全員ホテルへ。11時過ぎにホテルに到着するも、日本から直接電話で予約を入れていた筈の予約が取れていないとフロントでいわれる。さらに今から14名分もの部屋を確保するのは出来ないとまでいわれる。そんな筈はないと交渉するも、聞く耳持たず。そこで、電話で予約を入れた後にメールで送られた予約の確定書を差し出すと、フロントは焦った様子でホテルの支配人に電話している模様。フロントで一時間近く待たされたあげく、ようやく14名分の部屋を確保。電話で予約をした後、ペーパーベースの確定書を取り交わしておいたのが幸わいした。電話で予約を受けたホテル側の従業員がこの春に退職したとのことで、その引き継ぎ連絡がいっていなかったようだと、ホテル側は弁明。とにかく無事に部屋に落ち着いて、一安心。ベットに入ったのは夜中の2時近く。

5月6日(火)
朝7時頃目が覚める。ホテルで朝食を済まし、一人で私のかつての母校・オイリュトメウム・シュツットガルトまで行ってみる。私はここで1993年から1997年の4年間学び、卒業した。久々の母校に着くと、すでに授業が始まっているようで、玄関や廊下やがらんとしていた。稽古場から漏れる音楽オイリュトミーの授業のピアノの音が、懐かしく感じた。適当に構内をぶらついていると、1〜2年前に学校を卒業し、現在舞台グループに在籍しているという若い女性の日本人オイリュトミストに会った。「日本から公演にやって来た笠井禮示です」と挨拶をすると、「あー、この週末に公演をなさる日本からのグループの方ですか!ところでここでは『卒業公演』をなさるのですか?」といわれる。「いえ、私はこの学校を17年前にもう卒業しました」と伝えると、きょとんとしていた。週間予定が掲示してあるコーナーに行くと、我々のリハーサル時間とスタジオが掲示されていた。初日の今日は夕方からリハーサルの開始予定となっていた。そして明日から本番初日までは朝から全日、リハーサルが出来る予定になっている。夕方から始まった初日のリハーサルは、舞台上での出ハケの確認を中心に行なわれた。会場となるオイリュトメウムの舞台は、今まで日本で行なって来た舞台とは違い、幅はそれほど広くなく、その代わり奥行きが長かった。出ハケ口も上下(舞台の左右)に3つずつある。時差ボケのせいか、動きにまったく力が入らず、早めにリハを切り上げてホテルに戻る。部屋で兄と弟とビールを飲み、就寝。

5月7日(水)
午後3時から広いスタジオUでリハ開始。学生時代以来、17年振りにこのスタジオで動く。床を舞台の大きさの原寸大に区切って言葉の作品を最初から通す。時差ボケも前日より良くなり、動きも安定してきた。夜はリハ会場を舞台に移し、全体の通し。縦長の舞台のため、作品のいくつかの箇所を修正しながら進める。夜は学生時代通っていたスペイン居酒屋で魚料理とワイン。気分が良くなり、2件目ではシュツットガルトでは初のジャック・ダニエル・オン・ザ・ロック。実はドイツ留学中は、私はもっぱらビールとワインで、バーボンはやっていなかった。バーボンを飲むようになったのは、日本に帰って来てからだ。

5月8日(木)
朝9時から舞台の照明つくり。オイリュトメウム専属の照明家のバスティアンと久々の対面。叡さんの指示を彼に通訳をしながら、進める。基本的にワン・シーン・ワン・キュー(一場面ひとつの照明パターン)だが、冒頭のショスタコヴィッチだけは細かい照明変化が入った(18キュー)バステイアンは照明切り替えの箇所を直接楽譜に書き入れる。さすがにオイリュトミーの照明に慣れているようで、細かいショスタコヴィッチの照明変化も、数回のテクリハでクリア。昼食はオイリュトメウムの先生であるクリスタ・マリア・シュミットの家に招待された。我々一家とレーバーさんも同席。サーモンのオーブン焼、シュバーベン地方の郷土料理であるポテトサラダ(私がリクエストした)、デザートには手作りプリン。美味しかった。午後はスタジオUにてリハーサル。明日の本番に向けての最終調整。夜は兄が我々兄弟と両親をドイツ・レストランに招待してくれた。皆は郷土料理のコースみたいなものを頼んだが、私と叡さんはビーフ・ステーキを注文。コースを頼んだ人は、その量の多さに圧倒。多くを残してギブアップ。一家揃ってドイツで外食するのは30数年振り。夕飯後、私は皆と別れて、かつてお世話になった日本食レストラン「貴張」に顔出し・挨拶。支配人の鈴木さん、閉店後の突然の訪問にも関わらず、暖かく迎え入れてくださり、17年振りにビールを飲み交わす。私は学生時代、ここの日本人従業員にドイツ語を教える代わりに、タダ飯を食わせてもらっていた。夜中の1時頃まで飲み、タクシーでホテルに戻る。

5月9日(金)
本番初日。劇場入りは午後からなので、午前中は本屋までシュタイナーのオイリュトミー・フォルメンの本と、オイリュトミー・フィギュアのカード全集を買いに出かける。店にあった最後の在庫をゲット出来てラッキーであった。その足で直接会場入り。照明つくりの続きをやり、テクリハを兼ねた通し稽古。午後の5時に一旦全ての作業を終えて、夜8時の開演まで各々自由に休む。初日の公演はレーバーさんの観客への挨拶から始まった:「皆様ようこそお越し下さいました。今晩、皆様に御覧頂くオイリュトミー・グループは、日本からやってきました。このグループの芸術監督である笠井叡は1979年に日本人としては初めてオイリュトメウムに留学し学びました。当時、小さな子ども三人を含めた一家全員でこちらに移住されましたが、この時代は、日本人はまだまだ珍しく、笠井一家がシュツットガルトに到着したときには、我々にとっては珍しいオリエンタルな香りが漂っていました。彼の息子・笠井禮示も後のこの学校を卒業し日本で活動を開始し、また1998年と2001年の日本ツアーでは、専属通訳としてツアーに同行してくれました。今回、長い時間の経過の後、笠井叡が率いる、このグループのオイリュトミー公演をこの会場で開催出来る事を大変嬉しく思っています。作品のテーマは、シュタイナーの黒板絵を使用した講演録からのテキストを中心に構成されています。グループはこの作品を昨年から今年にかけて、日本の数カ所で公演を日本語で行ないました。そして今夜は、この公演ために日本語で創った作品を全てドイツ語に覚え直して、上演いたします。どうぞ最後まで、ごゆっくり、お楽しみ下さい」終演後、20数年振りに、シュタイナー学校の同級生であったフローリアンとフィリップと町に繰り出し、再会の祝杯を挙げた。

5月10日(土)
公演2日目。午前中は再び本屋へ寄り、注文していた本を受け取りに行く。町に出て、「ウード・スナック」で昼食。ここは知る人ぞ知る、シュツットガルトで一番美味いハンバーガーが食べられるお店。私は普段、本番前にハンバーガーを食べるということは絶対にしないが、シュツットガルト滞在中、ここだけは外せないスポットだったので、強行突破。結果、行ってよかった。二日目の本番もレーバーさんの挨拶から始まった:「皆様、ようこそお越し下さいました。昨日に引き続き、今日は日本からのオイリュトミー・グループの公演の2日目です。彼らが昨夜の初日にみせたオイリュトミーはドイツにはない、日本の大地らしい、火山に力に満ちあふれた、大変エネルギッシュな舞台でした。と同時に、ヨーロッパでは、今日ほとんどみる事の出来ない、オイリュトミーへの真剣さと集中力に満ちたものでした。彼らにとってドイツ語を覚え、それを舞台作品化することは、大変な労力を必要とするものと想像出来ます。箇所によっては、我々ドイツ人にとって、おかしく聴こえる発音等もあるのですが、彼らの真剣さは、そのおかしさを感じさせる事のないぐらい、集中したものです。また今回のツアーは、人智学の協会、あるいはその関係機関ではない機関からの助成金の援助を得て実現したものということも、併せてお伝えしたいと思います」レーバーさんが今回の公演ツアーの助成金(我々日本側が申請、採択された)の出資もとについてお話したのには訳があった。ドイツのオイリュトミー活動は、主として人智学の協会内の中で行われることがほとんどで、助成金もその関係機関から出るものがほとんどで、むしろ一般のある法的機関はオイリュトミー活動を援助することは滅多にない(それは協会内の活動に終始する傾向があるため)一方、日本におけるオイリュオミー活動は、ドイツに比べて遥かに一般的な社会性をもった活動として受け入れられている。そのため、一般の機関から助成金援助を受けた本活動は、オイリュトミーと一般社会との関係性という意味でも、大きな意味をもつ。

5月11日(日)
イタリア・ローマへの移動日。朝8時にホテルに迎えに来る筈のバンが故障し、レーバーさんが大慌てでタクシーを4台呼び、飛行場へ。慌ただしくチェクインを済ませ、出国ゲートでレーバーさん、モーリッツとお別れの挨拶。シュツットガルトからパリに飛び、パリで約2時間半のトランジット待ち。午後の4時にローマの空港に到着。後は預けたスーツケースを受け取り、入国ゲートを通るだけ・・・。預けた荷物が受け取りレーンに上がって来た。出演者、家族がさっさと届いた自分の荷物を受け取って行く。「さあ、皆さん、荷物は全員無事に受け取りましたか?ではイタリアに入国しますよ?」オイオイオイ、私と叡さんスーツケースがまだ出て来ていない・・・。やがて我々二人のスーツケースを乗せる事なく、荷物を運び届けるレーンは空回りを始め、やがて止まった・・・。「ガーンッ!!!」人生初のロスト・バゲッジってやつかぁ?しかも私と叡さんのダブルパンチ同時にかい?カスタマーセンターに詰め寄り、事情を聞くと「ミスター・アキラ・カサイの荷物は次の便でパリからローマに運ばれます。ですから後40〜50分で到着します。お待ちになられてもよいですし、滞在先の住所を頂けたら、そちらに配送します。ミスター・リッチー・カサイ(レイジと発音出来ない)の荷物は追跡しましたが、行方不明です。とりあえず、滞在先の住所を教えてください。見つかり次第、届けます」というと、タオルと歯磨きセット、石けん、ひげ剃りセットの入った安っぽいビニールポーチを渡して来た。いくら文句を言っても、それ以上ラチが上がらなかった。そういえば、パリ発ローマ行きと同じ時間でパリ発マイアミ行きという便があったなぁ。もしかしたら今頃私のスーツケースはマイアミ行きの機内の中かも、などと想像しながら、係員に私のスーツケースの特徴・色を伝えた「今回の旅行のために新しく購入したおニューなやつで、色は黒。目印にストーンズのベロマークのシールが中央に貼ってあるやつです」それだけ伝えて私はショルダーバックひとつでローマ入りした。スーツケースの中には、私のオイリュトミー・クライト3着とシュライヤー3着と稽古クライト、ドイツで買ったシュタイナーのフォルメンの本、滞在中の衣類、舞台メイク道具、お土産、すべてが詰まっていた。所在が明らかになっている叡さんの荷物に比べて、「行方不明」という言葉が不安な気持ちを倍増させた。宿にチェックインして、気持ちを落ち着かせるためにビールを3本空けた。さらに夕飯に、ビーフ・ステーキを平らげ、体内に「幸せ物質」を分泌させて、夜は宿で兄・弟と深夜まで飲み。*幸せ物質:焼き肉・ステーキなどを食べると体内に分泌される。幸福物質ともいう。嫌なことがあったときに摂取・分泌させるとよい。

5月12日(月)
ローマ公演当日。本番まで大分時間があるので(夜8時半開演)、午前中は他のオイリュトミストたちと一緒に、大型スーパー「パノラマ」まで出かける。ちょっとしたお土産などは、観光地のお土産屋よりも、地元のスーパーで探したほうが面白いのである。集合時間を決めて、各々自由に店内を散策。パスタやオリーブオイル、小物などを買ったそうである。私はといえば・・・・、パンツ2丁と靴下2足。全てを失ったこの時分、とてもではないが、お土産などを選んでいる気分になれない。買い物を終え、昨夜訪れたレストランに昼食へ。ここでも「当然」、ビステカ・デ・マンツォ、つまりビーフ・ステーキを注文。イタリアに来ると無性に肉が食いたくなるのは、毎度のこと(数えてみたら、私は今までローマに10回訪れている)午後、迎えの車が宿へやって来て会場へ。町外れにある「ローマ第3大学/Roma Tre」が今夜の会場だ。大学の講義を行なう講堂の中に、後付のように設えた板張りの舞台。しかし雰囲気はとてもいい。会場に着くと叡さんのスーツケースが届いていた。私はいよいよ、衣装がない状態で本番を迎えることになってしまった。出ハケのチェックとサウンドチェックを済ませ、舞台を水拭き。今夜はまず6時半から8時過ぎまで叡さんのレクチャー。その後休憩を挟んで本番という流れ。レクチャーはダンスと言葉の関係性についての話:「多くのダンサーが『話すことよりも、話以上のことを動いてやりたい』と言っていることを私は知っていますが、ダンスが言葉を否定してしまっては、身体は決して深まりません。それは「言葉を否定したダンス」は・・・・・」レクチャーは大変集中した聴衆の前で2時間続いた。続いて本番。私は衣装がないので、クライトは瑞丈から、シュライヤー、ストッキングはなおかから、靴は裕子からと、全て借り物。舞台は冒頭からノリがよく、叡さんと私の掛け合いで進む「経済問題シーン」では、私はあらかじめ仕込んでおいたイタリア語で相槌を打った。このツアーに同行して、すべての公演を観てきた兄は、今晩のローマ公演が一番よかったと話していた。「禮示は最初から五速だったな」

5月13日(火)
フリータイム。ローマは初めてという裕子を連れて一日、街を案内。とりあえず地下鉄でバルベルリーニ駅まで出て、骸骨寺を見物。何千体もの人間の骨で創くられたアーチや壁細工、時折その間にミイラが見える。ここまで幾何学的に人間の骸骨がレイアウトされると、むしろ気味悪さという感じはなく、むしろバロックのGewaltigkeit/強烈さ、をまざまざと見せつけられている感じがしてくる。続いて、ローマの休日/オードリーで有名なスペイン階段を経由して、フェラガモ本店へ。ここに勤めているアキさんは私の友達。顔出しの挨拶。続いてパンテオン。中にも入れるローマ建築の中では、ここが一番のお気に入り。中にはベンチもあるので、足休めを。ルネッサンスの三大巨匠の内の一人、ラファエロ・サンツィオの棺も見える。数年前に、この棺にCTスキャンを施した際、確かに中には人間の遺体(ラファエロ)が確認されたそうである。パンテオン近くにあるというローマで一番の人気のジェラート屋「Giolitti」でジェラートを食べる。私はバニラとレモン。美味い。そのままフォロ・ロマーノの遺跡群を眺めながら、コロッセオへ。物乞い多し。いくつかの土産物屋を覗くも、結局何も買わず地下鉄で中央駅へ。駅周辺の食堂で昼食。ケーバップの皿プレートみたいなものを食べる。美味しいが、ソースが辛くて苦労する。一旦宿へ戻ると私のスーツケースが届いていた!おお、待ちわびたぜ、BABY!中を開けるとシャンプー・トリートメントの栓が潰れて、中がぐちゃぐちゃ。衣装や洋服はビニールにパックされていたので被害は被らなかったものの、スーツケースの裏地は見事にトリートメントされてしまった。拭いてもラチがあかないので、シャワーで丸洗い、ドライヤーで乾燥。それでも荷物が届き一安心。出来れば、本番前に戻ってほしかった。夜はイタリア公演の主催者マリア・ピア・ドラツィの家でパーティー。ピザとワインを鱈腹食べる。母声と父声、そして主として結びのウに関しての話で盛り上がる。私は個人的に、大きな収穫であった。特に結びのウに関する考察に関して。

5月14日(水)
この日はツアークルーの内の半分のオイリュトミストが帰国する日。彼らの宿泊する宿までお見送り(宿は2つに分かれていた)昼食はケーバップ。この日は宿で日記を付けたり、洗濯をしたりと、ゆっくり過ごす。夕方近くに叡さんのワークショップ会場まで見学に出かける。地下鉄を使わず、歩いて行こうとして大いに迷う。結局散々歩いた末、地下鉄で行くことに。オイリュトミーの基礎を教えるクラスだったが、毎回、叡さんのクラスを見学するたびに、新しい気付きがあるので勉強になる。夜は、ラザーニヤと赤ワイン。

5月15日(木)
兄、弟、裕子、なおか、私の五人でローマの海岸線へ出かける。朝から兄がPCで行き先をチェックしている。地下鉄B線でピラミッドまで行き、さらに電車を乗り継いでCHRISTOFFORO COLOMBOまで。駅を降りるとすぐに目の前は海岸線。とりあえずピザとビールを食べ、バスに乗り継ぎ(適当に乗ったのでどこ行きか知らない)、田舎の方へ。バス海岸線に沿って、飛ばしまくる。適当な駅で降りて、海岸を歩く。兄、歩きながら写真を撮る。それもテクテクと、テンポよく歩く。ウチらはのんびりダラダラ。次第にウチらと兄との距離が広がっていく。以前、兄が「写真は歩いて取らなくちゃ。近づくためには歩かなくちゃ。近づくため望遠レンズなんてダサいぜ」と教えてくれた。確かに、その自らの言葉を実践している様であった。レンズはズーム無しの35ミリひとつであった。私もファインダーを覗かせてもらったが、いいカメラだった。ほしい。一眼レフではなく、二眼レフという種類のカメラ。以前、私は一眼レフのカメラを持っていたが、弟にあげてしまっていた。街の中心に戻って、スパゲティ(アラビアータ)とワインを飲む。宿に戻って洗濯、シャワー、再び飲み。なおかが買ってきたテイクアウトの中華(チャーハン&焼きそば)をつまみに深夜まで。

5月16日(金)
母と二人で宿の近くの中華で昼食。春巻、ワンタンスープ、広東風チャーハン、焼そばを注文。割合に美味しく、満足する。特に久しぶりの汁物(ワンタンスープ)は嬉しかった。地下鉄でスペイン広場に出て、兄、弟、なおか、裕子と合流。今日は、母はショッピングを楽しむとのこと。このメンツで外に繰り出すのは、人生初。お土産にフェラガモでスカーフを購入。コルソ通りの眼鏡屋でヨーロッパ・ツアーの記念に我々兄弟にサングラスをプレゼントしてくれた。私は裕子のバックを購入。イタリアらしい赤。近くのバールで一休み。ビールを飲む。その後タクシーで叡さんのワークショップ会場へ。ちょうど終わる頃に到着、スタジオに入ると黒板に父声の説明が書かれていた。今日は、私・弟・なおか・裕子で、両親と兄をイタリアンの夕食に招待する予定。叡さんお気に入りのレストラン「スパッカ・ナポリ」へ。マリア・ピア、絹子さん(イタリア在住の友人)も合流。前菜にタコのマリネ、サーモン、野菜、イカの揚げ物。メインは各々好きなものを注文。叡さんは魚介類のパスタ・その名も「スカッパ・ナポリ」、他の人も銘々お気に入りのパスタを注文。私はいつものビステカ・ディ・マンツォ。ワインは叡さんがチョイスしたシチリア・ワイン。帰りはタクシーで帰る組と地下鉄組に分かれて宿へ。私、兄、裕子は地下鉄で。宿近くのピアッツァ・ボローニャ、金曜の夜らしく外飲みの人でごった返している。我々も瓶ビールを購入し、外飲みをしばし満喫。葉っぱの匂いの微かにする、ローマらしい騒がしい夜。



5月17日(土)
裕子と地下鉄・バスの一日乗り放題(こっちの方が割安)の券を買って、街へ。計画としては、可能な限り徒歩をしないでどこまで名所をまわれるか、というもの。宿の前のバス停から、一気にヴァティカンのサン・ピエトロ寺院へ。並ばず、以外とすんなり寺院内へ入れた。入ってすぐ右手に、あのミケランジェロの「ピエタ」がある。昔は近くから観えたが、今はガラス越しからしか観れない。それにしてもこの寺院はデカいし、贅の限りを尽くした感のある建築物。莫大な費用をつぎ込んで、非日常的な空間を徹底的に演出することによって、入る者をひれ負させ、教会(宗教)の絶対的権力をこれでもか、と見せつけるような権威的な建造物。自然の中に調和してひっそりとたたずむ日本の神社で感じられるような「霊性」はまったく感じない。ヴァティカンを後にして、再びバスで移動。ヴェネチア広場の少し先にある「猫サンクチュアリ」を見学。ここは野良猫、病気の猫、けがをした猫を引き取り、面倒みている、猫の保護センター。里親募集も行なっており、海外からも猫の引き取り手の応募があるという。実は3年前、私は仲間のテラと一緒にここを一度訪れている。センター長の女性は以前、フライト・アテンダントをやっていたことがあり、日本には何度も訪れていると話していた。今回、3年振りに訪れたら、私のことを覚えていてくれた。運営は、グッツの売り上げでまかなっており、詳しいことは分からないが、職員はほとんどボランティアなのだろう。私はTシャツを購入。お次ぎはピアッツァ・ヴェネチアからバスに乗り、テアトロ・マルチェッロを経由して「真実の口」へ。スペイン階段もそうだが、オードリー・ヘップバーンに纏わる場所には観光客がやたらと多い。早々と撤収。再びバスに乗り込み、ピアッツァ・バルベルリーニへ。ピザスタンドで昼食。広場に隣接している国立古典絵画館(バルベルリーニ宮)を見学。ここは数あるローマの美術館の中でも、一番お気に入り。観客も少なく、静かで落ち着いて館内を見て回れる。とはいえ、所蔵している絵画コレクッションは目を見張るものがある。カラヴァッジョ、ラファエッロ、フィリッポ・リッピなどの手による隠れた名作が間近で観られる。スタンダールの「イタリア年代記」に登場する、階段の踊り場の壁面に彫られたライオン像は、ここにいる(しかも触れる!)スタンダールはもちろん、シェリーやアントナン・アルトー、コラード・リッチなどの作家の創造心を焚き付けた名画グイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」はここにある。美術館を出て再びバスでコルソ通りへ。パンテオン近くのジェラート屋「ジオレッティ」でジェラートを食べる(メロンとイチゴ)バスで一旦テルミニ駅(中央駅)に戻り、最後はメトロ(地下鉄)で宿のあるボローニャ広場へ(本当は全編バスで回りたかった。最後の最後で地下鉄を利用したのは残念)宿の近くのバールでビール、夜は宿で深夜まで飲み。今回、一日乗車券と市営バスを駆使すれば、歩き回らずローマの観光が出来ることを発見。地下鉄と違い、バスの窓からの景色も楽しめる。しかしスリの多い悪名高いローマのバス。乗車する際には注意が必要である。基本的にはアクセサリーは身につけず、ショルダーバックや腰に巻き付けるポーチもNG。手ぶらでお金はその日に使う最低金額をズボンのポケットに入れて行動。以前、元天使館の仲間がローマに行った際、着いた初日にバスで手持ちの現金全額、カード、パスポートを盗られた被害にあっている。カードの停止手続き、パスポートの再申請手続きなどで、大変苦労したことがある。用心が必要な周遊でもある。

5月18日(日)
ローマ最終日。お昼はいつもの中華で、叡さん、瑞丈、爾示は豚肉の辛味炒め、裕子はカレーチャーハン、久子さんもチャーハン、なおかは鶏肉のレモン風味炒め、私は海老チリ。叡さんは追加でチャーハンも注文。ボローニャ広場の近くにあるこの店は割合にうまい。午後は近所を練り歩き、お土産を探す。夜はマリア・ピアの家に招待されていたので、地下鉄とバスを乗り継いで向かうも、反対行きのバスに間違って乗車。仕方なく途中で降り、そこから歩いて向かうことに。ティブルティーナ通りをひたすらピア宅へ向かって歩く。観光地ではない、生活感溢れるここの界隈を写真家の兄は気に入り、写真を撮って回る。約束の時間を1時間遅刻してようやく到着。ピア宅では叡さんがローマ第3大学(今回のローマでの公演会場)のレイモンド教授からインタビューを受けていた。レイモンドはヨーロッパの舞台演劇の専門家。サマンタの旦那のアルベルトの作ったスペイン料理の前菜・オムレツ、生ハムをつまみにワインを飲みながら、永遠と続くインタビューの終わるのを待つ。ようやくインタビューが終わり、宴会スタート。メインはスパゲッティ・アラ・ヴォンゴレ(あさりのパスタ)これもアルベルトの作。彼はスペイン人で、料理がうまい。3年前のトゥスカーニアでも、あさりのパスタをご馳走になった。レイモンド、舞台におけるコロスの意味・重要性について語る。帰りはアルベルトの車で宿へ。宿でローマ最後の部屋飲みスタート。珍しくギタリスト話で盛り上がる。私は腕のいいギタリストの中で、一番のギターソロ名演として「alchemy live」におけるマーク・ノップラー(ダイヤー・ストレイツ)の「悲しきサルタン」をあげるが、この意見には兄も同調したようだった。ワインを2本空け、終了。

5月19日(月)
帰国する日。慌ただしく荷物まとめ。宿に車が12時に迎えに来る予定なので、その前にケーバップを食べに出かける。15:30のアリタリアで成田へ。機内でジョニー・デップの何とかという映画を観る。鑑賞後、すぐに眠ってしまい、次起きた時には飛行機は韓国上空を過ぎ日本海を渡っているところだった。12時間のフライトはほとんど眠って過ごせたので、長く感じなかった(機内でジンのストレートを飲んだためか?)成田からバスで吉祥寺へ。中央線で無事、国分寺に着。すぐに南口のラーメン屋に入った。日付は5月20日にかわっていた。